仙台・松島 x 寺院(観音・不動)
仙台・松島のおすすめの寺院(観音・不動)スポット
仙台・松島のおすすめの寺院(観音・不動)スポットをご紹介します。創建当時の姿に再建された伊達政宗が眠る霊屋「仙台藩祖 伊達政宗公霊屋 瑞鳳殿」、桃山文化の粋を集めた伊達家の菩提寺「瑞巌寺」、政宗が再建した松島のシンボル「五大堂」など情報満載。
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仙台・松島のおすすめの寺院(観音・不動)スポット
仙台藩祖 伊達政宗公霊屋 瑞鳳殿
創建当時の姿に再建された伊達政宗が眠る霊屋
伊達政宗が眠る霊屋。戦災で焼失し、昭和54(1979)年に再建。平成13(2001)年の改修で創建当時の見事な色彩が甦った。発掘当時の映像や貴重な副葬品が展示される資料館も必見。


仙台藩祖 伊達政宗公霊屋 瑞鳳殿
- 住所
- 宮城県仙台市青葉区霊屋下23-2
- 交通
- JR仙台駅から観光シティループバス「るーぷる仙台」で15分、瑞鳳殿前下車、徒歩5分
- 料金
- 入館料=大人570円、高校生410円、小・中学生210円/家紋名刺入れ=2530円/家紋巾着=2860円/オリジナルノートセット=550円/ (観光シティループバス「るーぷる仙台」1日乗車券提示者は割引あり、障がい者360円)
瑞巌寺
桃山文化の粋を集めた伊達家の菩提寺
慈覚大師が天長5(828)年に開山。戦国時代の混乱を経た後、伊達政宗が心血を注ぎ再建。紀州(現在の和歌山県)熊野から銘木を伐り出し、一流の名工を集めて丸5年もの歳月をかけ、慶長14(1609)年に完成した。2016年4月、本堂の拝観が再開された。


瑞巌寺
- 住所
- 宮城県宮城郡松島町松島町内91
- 交通
- JR仙石線松島海岸駅から徒歩7分
- 料金
- 大人700円、小・中学生400円 (30名以上で大人650円、小・中学生350円、100名以上で大人600円、小・中学生300円、障がい者手帳持参で大人300円、小人100円、第1種障がい者手帳持参で本人と介護者1名割引あり)
五大堂
政宗が再建した松島のシンボル
慈覚大師が「大聖不動明王」を中心にした五大明王を安置したことから、五大堂の名で呼ばれるように。秘仏の五大明王は、33年に1度だけご開帳される。現在の建物は伊達政宗が慶長9(1604)年に再建したもので、瑞巌寺の再興に先立ち建造され、東北地方最古の桃山建築様式の建物。お堂の四面にある蟇股(かえるまた)には、見事な透かし彫りで十二支の動物が配されている。


円通院
雅な庭園を眺めながら天然石の数珠作り
伊達政宗の孫・光宗の霊廟として正保4(1647)年に開基。国の重要文化財の三慧殿と美しい庭園が見どころ。苔が配された枯山水式の庭園は、四季折々の草花に彩られ、紅葉の時期にはライトアップも行なわれる。庭園の奥にあるのが三慧殿で、現存する霊屋建築としては宮城県最古。


円通院
- 住所
- 宮城県宮城郡松島町松島町内67
- 交通
- JR仙石線松島海岸駅から徒歩5分
- 料金
- 入館料=大人300円、高校生150円、小・中学生100円/縁結びこけし=500円/数珠作り体験=1000円~、3000円~(天然石)/ (障がい者手帳持参で本人100円引)
定義如来 西方寺
縁結びや子授けにご利益がある如来様
平貞能が安置した阿弥陀如来を祀る。縁結びをはじめ、子宝や安産にご利益があるといわれ、地元では「定義さん」と呼ばれ親しまれている。歴史を感じさせる山門や、高さ29mの五重塔も見逃せない。


陸奥国分寺薬師堂
政宗が再興した日本最北の国分寺
天平13(741)年、聖武天皇が各地に建立した国分寺のなかで日本最北の寺。伊達正宗が再建した現在の薬師堂は現在する仙台最古の木造建築物の1つで国の重要文化財。


滝沢不動尊
滝と山林に囲まれ、目の神様として古くから信仰される不動尊
細い林道をしばらく入った山の中にひっそりとたたずむ滝沢不動尊。岩間から流れ出る滝に打たれ厳かな雰囲気。目の神様として古くから信仰を集めている。


天麟院
政宗の長女・五郎八姫の菩提寺
陽徳院、円通院と並び、松島の三霊廟に数えられる。愛姫との間に生まれた唯一の娘である、政宗の長女・五郎八姫(いろはひめ)の菩提寺で、境内には五郎八観音が建立されている。天麟院洞窟群と呼ばれる5つの洞窟があり、政宗の三男・河内守宗清の供養塔が立つ。

輪王寺
名園を擁する伊達家ゆかりの禅寺
嘉吉元(1441)年に、伊達持宗が祖母の蘭庭明玉禅尼の冥福を祈るために福島県伊達郡に建立。居城の移動と共に各地を巡り、慶長7(1602)年に現在の北山の地に落ち着いた。


大光寺
和尚が疫病退散の為に彫った五百羅漢が安置
昔、疫病が流行った時に、大光寺の和尚が人びとを救うため、山中で石に像を刻んだ。するとたちまち疫病は去ったという。本堂裏手の岩窟にはその時彫られた像が並ぶ。

