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関西のおすすめのその他史跡・建造物スポット
関西のおすすめのその他史跡・建造物スポットをご紹介します。奈良時代を今に感じる、世界遺産「平城宮跡」「平城宮跡」、日本最古で最大の本格的都城「藤原宮跡」、飛鳥時代の宮殿を一部復元「飛鳥宮跡」など情報満載。
- スポット:66 件
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関西のおすすめのその他史跡・建造物スポット
平城宮跡
奈良時代を今に感じる、世界遺産「平城宮跡」
世界遺産「平城宮跡」に広がる豊かな自然と歴史を通じ奈良時代を体感できる歴史公園。公園内には朱雀門や第一次大極殿などの建造物や日本庭園のルーツともいわれる東院庭園などが復原されている。公園内には4つの展示施設があり平城宮跡からの出土品や映像を通して奈良時代の暮らしや平城宮についてより深く知れる。「朱雀門ひろば」では復原遣唐使船やVRシアターをはじめカフェやレストラン奈良の特産品を扱うショップがある。


藤原宮跡
日本最古で最大の本格的都城
持統天皇8(694)年に創都し、平城京に遷るまでの16年間、持統・文武・元明の3天皇が都とした。大宝律令が制定され、律令国家体制が成立する日本の重要な時代の都の跡。宮跡は一部整備され、春には菜の花、秋にはコスモスなど四季折々の花が楽しめる。


発心門王子
聖域の入口にたたずむ
ここから熊野本宮大社の聖域に入る。熊野九十九王子のなかでも格式の高い五躰王子のひとつに数えられる由緒ある王子で、熊野詣の人々は鳥居の前でお祓いをしてから鳥居をくぐったという。

本薬師寺跡
西の京にある薬師寺の前身
天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒祈願のために建立。平城京遷都の際、西の京に薬師寺を建立したため本薬師寺と呼ばれるようになった。金堂跡と東西両塔跡に礎石が残る。周囲はホテイアオイの名所で、8月中旬から9月下旬が見ごろ。


金輪王寺・吉野朝皇居跡
かつて南朝の皇居が置かれた
南北朝時代、吉水院に逃れた後醍醐天皇が実城寺を皇居とし、金輪王寺と改める。南朝没落後は衰退、明治時代には廃寺となり、現在は皇居公園として整備されている。


史跡・生野銀山と生野鉱物館
日本の近代化の礎となった鉱山跡で歴史を学ぶ
大同2(807)年の開坑から昭和48(1973)年の閉山まで千余年もの間、採掘されてきた鉱山跡。永きにわたって銀や銅などの鉱物を数多く産出してきた。鉱山資料館や吹屋資料館、生野鉱山文化ミュージアムを併設。平成29年7月には超地下スーパーアイドルGINZAN BOYZが登場し、注目されている。


史跡・生野銀山と生野鉱物館
- 住所
- 兵庫県朝来市生野町小野33-5
- 交通
- JR播但線生野駅から神姫グリーンバス喜楽苑行きで10分、生野銀山口下車、徒歩10分
- 料金
- 入館料=大人900円、中・高校生600円、小学生400円/生野鉱物館入館料=100円/ (15名以上の団体は10%割引、50名以上の団体は15%割引)
史跡草津宿本陣
東海道筋で唯一完全な姿を残す
寛永12(1635)年から明治3(1870)年まで諸国大名や公家、幕府の役人の休泊施設だった本陣。現存する本陣の中では最大規模。宿帳に浅野内匠頭や吉良上野介らが名を連ねる。


経ヶ岬灯台
海を見守る白亜の灯台
日本海のリアス式海岸が一望できる岬の先端に立つ白亜の灯台。明治31(1898)年の設置以降、船舶の安全を見守り続けている。映画「喜びも悲しみも幾歳月」のモデルになった。


史跡 西寺跡
石碑と建物の礎石が残る
密教の根本道場として繁栄した空海の東寺とは対照的に、守敏の西寺は官寺としての地位は保っていたものの、度重なる火災で焼失し、天福元(1233)年の記録を最後に再建されることはなかった。


頭塔
まるでピラミッドのような土塔
インドのストゥーパの様式を伝える石積の塔。お水取りを初めて行った東大寺の僧実忠が国家安泰を祈って築いたといわれる。天平石仏が22体残っている。国の史跡。


頭塔
- 住所
- 奈良県奈良市高畑町921
- 交通
- 近鉄奈良線近鉄奈良駅から奈良交通市内循環外回りバスで6分、破石町下車すぐ
- 料金
- 協力金=300円/ (学生は無料、10名以上の団体は1人200円)
徐福公園
瑠璃瓦を配した華やかな楼門
秦の始皇帝の命により、不老不死の妙薬を求めて日本に渡来したという徐福。公園は徳川頼宣が建立した徐福の墓碑を中心に整備され、管理棟では徐福に関する書籍などを販売している。


赤穂城跡 二之丸庭園
歴史情緒あふれる大名庭園
赤穂城跡の二之丸内に造営された大名庭園。発掘調査によってその全容が明らかにされ、現在は庭園の復元が進められている。整備が進みつつある庭園の一部を散策してみよう。
浜の宮王子跡
海岸沿いの九十九王子のひとつ
那智勝浦町の那智の浜の近く、補陀落渡海で知られる補陀洛山寺の横にある浜の宮王子跡地。熊野古道中辺路、大辺路が交わる重要な王子でかつては渚宮王子、錦浦王子ともいわれた。


内山永久寺跡
明治の廃仏毀釈によって廃寺となった大寺院跡
12世紀の初期の創建、鎌倉時代には五町四方の境内に坊舎52、堂宇も多数という大寺院だったが、明治の廃仏毀釈によって廃絶した。現在は本堂池だけが残る。

竹之内環濠集落
山の辺の道沿いにある環濠集落
山の辺の道沿いにある竹之内町には、周りに濠をめぐらせた集落がある。中世の大和の集落では、外敵の侵入を防ぐため、このような濠を設け、橋を出入口に掛けていた。
