巡洋戦艦フッドは、英国海軍最後の巡洋戦艦です。巡洋戦艦として分類されますがとても強力でした。世界最大級、そして世界で最も美しい戦艦の一つとして、英国海軍の誇りだったフッド。大きな威信を抱えたフッドは、英国では「マイティ・フッド(偉大な・強大なフッド)」とも呼ばれていました。歴史に名を残した巡洋戦艦フッド。一体、どんな戦艦だったのでしょうか。
1. 建造と命名
フッドの建造は、第一次世界大戦後の1916年に起工されました。建造したのは、スコットランドのジョン・ブラウン・アンド・カンパニーのクライドバンク造船所です。数多くの有名な戦艦や客船を建造した優れた造船所です。元々は、4隻の造船が計画されましたが、後に建造が中止され、第一艦であるフッドのみが完成し、1920年5月15日に就役しました。
艦名は、アメリカ独立戦争期やフランス革命期に活躍した、英国の海軍提督サミュエル・フッドにちなんでいます。
2. 英国社会に再び自信を与えたフッド
就役まもなく、スカンジナビア海域を巡行。1921~1922年は、地中海を巡行し、続いて、巡洋戦艦戦隊とともにブラジル、東インド諸島兵を巡行。1923年には、特殊戦隊の旗艦として、南アフリカ、セイロン、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド、サンフランシスコ、パナマ運河を経てジャマイカに寄港、最後にニューファンドランド訪問という、1年間に及ぶ世界巡行を行いました。 英国海軍の兵力を見せつけるパフォーマンスは大成功でした。第一次世界大戦後の憂鬱さで沈んでいた英国社会に、フッドは希望と自信を与えたのです。
3. 性能
巡洋戦艦(バトルクルーザー)として分類されるフッドですが、高速戦艦に属するとも言われます。戦艦(バトルシップ)並みの攻撃力と防衛力を持ち、かつ、速度を持つ艦でした。
第二次世界大戦の時代には、1916年建造のフッドは、攻撃力や防衛力においては時代遅れとなっていましたが、スピードにおいては、尚、勝れた艦でした。これが、スピードを持った最新鋭のドイツ艦ビスマルク攻撃に起用された理由です。
4. ドイツ戦艦ビスマルクとの戦い
第二次世界大戦中の1941年5月24日。フッドは、戦艦プリンス・オブ・ウェールズとともに、ドイツの物資輸送ラインを破壊するため、ドイツ戦艦ビスマルクを攻撃する作戦についていました。デンマーク海峡海戦で、攻撃開始からおよそ10分後、フッドは、ビスマルクからの砲撃を後部の弾薬庫付近に受け、わずか数分で沈没してしまいました。乗組員1418人のうち、生還できたのはわずか3人でした。
フッド沈没による英国の怒りはすさまじいものでした。英国軍総力を挙げての猛攻撃を受けたビルマルクは、フッド沈没から3日後に沈没しました。
5. 海底に沈むフッドの発見
2001年7月、海洋探索により、水深2,800mに沈むフッドの残骸が発見されました。
長い間「なぜ、フードはわずか数分で沈没してしまったのか」について、様々な議論が交わされていました。この海底探索・調査により「艦尾の弾薬庫が爆発していること」が明確となり、「運命的な一撃」がフッドの爆発を引き起こし、あっという間に沈没したという説が、最も納得のいくものとなりました。
まとめ...
フッドは、英国海軍と英国のプライドだったのだということを強く感じます。1920年代、旗艦として世界を巡行した姿は、凛々しく美しく、人々の心を鼓舞したのでしょう。長い間、フッドは、英国において戦艦以上の意味を持っていたのです。