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「連帯」自由を求めた一つの壮大なドラマ 

こんにちは、ライターのHIRO.Tです。さて、今回はヴァウェンサ(ワレサ)で有名な「連帯」について取り上げたいと思います。皆さんは「連帯」に対してどのようなイメージをお持ちでしょうか。もしかしたら、冷戦以降に生まれた若い世代ですとご存知でない方も多いかもしれません。今回は、ポーランドの現代史を振り返りながら、「連帯」について解説したいと思います。

1. ポーランドは共産主義国に 

ポーランドは第二次世界大戦、ナチスドイツによって破壊されました。ポーランドを「解放」したのが東から来たソ連軍でした。戦後、ソ連はポーランドを始めとする「東欧」を自らの影響下に置きました。その後、ソ連が後押する形で新政府が樹立。以後、ポーランドは共産主義の道を突き進みます。

2. 度重なる暴動と悲劇的な鎮圧

ポーランド政府は国有化を通じて急激に共産主義化を押し進めました。しかし、重工業は発達したものの、日用品や食料品の不足を解決することはできませんでした。政府は事あるたびに食料品の値上げを断行。国民は暴動を起こしましたが、政府はこれを徹底的に鎮圧しました。

3. 自主的な労働組合「連帯」の成立

1980年、37歳の電気技術者レフ・ヴァウェンサをリーダーとする自主的な全国労働組合「連帯」が成立しました。ポーランドの成人人口の三分の一が「連帯」に入りました。「連帯」は政治の民主化、計画経済の廃止を政府に強く要求。政府も「連帯」の存在を認めざるを得なくなりました。

4. 「戒厳令」という政府の大反撃。しかし・・・

しかし、ポーランド政府も簡単には引き下がりませんでした。1981年、政府は「戒厳令」を布告しました。「戒厳令」を通じて多くの連帯メンバーが一斉に逮捕されました。しかし、西側諸国からの圧力、国民の反発を招き「戒厳令」は腰砕けに終わり、ヴァウェンサを始めとする連帯メンバーも釈放されました。

5. 最後は手を携えて

1985年、「ペレストロイカ」を標榜するゴルバチョフがソ連の指導者になり、ポーランドを取り巻く情勢が変化しました。政府は「連帯」との円卓会議を提案。「円卓会議」にて双方が妥結し、1989年に部分的な自由選挙が行われ、「連帯」が圧勝しました。その後、ポーランドは民主主義の道を歩み始めるのです。

まとめ...

いかがでしたか。「連帯」は共産主義圏初の自主的な全国規模の労働組合だったわけですが、共産主義体制では労働者が組合を自主的に作ることは禁止されていました。紆余曲折はありましたが、政府側と「連帯」が最後に妥結。血が流れることなく民主化が達成できたのです。なぜ、ポーランドでは「連帯」が活躍しスムーズな体制転換ができたのでしょうか。いろいろ考えながら、ポーランドを旅するのも楽しいと思います。

Author

HIRO.T
海外旅行好きの28歳。神戸市在住。主にロシアや中東欧をバックパッカースタイルで旅をしています。いつか、ヨーロッパに住むことを目指して日々努力しています。http://www.mosteurope.com/