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ドイツの東側は25年前まで北朝鮮と同じ体制だった?

こんにちは、ライターのHIRO.Tです。今回は25年前まで「存在した」国。ドイツ民主共和国(東ドイツ)の歴史を解説したいと思います。近年、映画「グッバイ、レーニン」や「善き人のためのソナタ」が話題となりました。しかし、映画を見ると不思議に思う箇所も多かったはず。東ドイツは社会主義体制だったので、日本とは大きくシステムが異なるのです。映画もドイツ旅行を充実させるためにも、東ドイツの歴史をサクッと振り返りましょう。

1. 東ドイツの建国

第二次世界大戦後、ドイツは「敗戦国」として、戦勝4カ国(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連)による分割統治となりました。しかし、冷戦の激化により、アメリカとソ連が対立。結果、アメリカ、イギリス、フランスの占領地区に「ドイツ連邦共和国」ソ連占領地区に「ドイツ民主共和国」が成立しました。

2. 「ベルリンの壁」の建設

建国当初、西ベルリン(西ドイツ)と東ベルリン(東ドイツ)の間には「壁」がありませんでした。そのため、東ドイツの人々は西ベルリンに次々と流れて行きました。東ドイツ政府は労働力の流出を防ぐために、1961年、西ベルリンと東ベルリンの境に「壁」を築きました。これが「ベルリンの壁」なのです。

3. 東ドイツの方針 「統一はせず」

東西ドイツと南北朝鮮を比較することがありますが、全く状況が異なります。時代が経つにつれ、東ドイツは統一を目指さなくなります。そして、2民族2国家論を唱え、ドイツ東部の独自の歴史を見つけ、西ドイツとの「違い」を強調しました。さらに、西ドイツを「国家」として事実上、承認したのです。

4. 紙で作った車?トラバント

東ドイツ製の製品は西側諸国と比べると見劣りするものばかりでした。その代表が、「紙」で作った車、トラバントです。正式には木綿を混合して作られたプラスチック素材の車です。人々はこの車を手に入れるのに、計画経済のせいで何十年も待ちました。今となってはレトロでどこか可愛らしい車です。

5. 東ドイツの崩壊、そして統一へ

東ドイツは経済の不振、社会の硬直化により負債が増加し危機的状況を迎えます。そして、決定打はソ連、ゴルバチョフ総書記の就任でした。ソ連で行われた改革を知った東ドイツ住民は当局に対しデモを通じて不満の声を挙げます。1989年、ベルリンの壁が崩壊。翌年にはドイツ統一が成し遂げられました。

まとめ...

いかがでしたか。冷戦期を知らない私にとって、ドイツに25年前まで北朝鮮と同じ体制(社会主義体制)があったことが驚きでした。私は数年前に卒業旅行でベルリンに行き、東ドイツ関連の博物館やベルリンの壁を見てきました。やはり、社会主義特有の寒々しい雰囲気は残っていました。そのような体験をした後に、冷戦期を描いた映画を見ると見方が変わるかもしれませんね。

Author

HIRO.T
海外旅行好きの28歳。神戸市在住。主にロシアや中東欧をバックパッカースタイルで旅をしています。いつか、ヨーロッパに住むことを目指して日々努力しています。http://www.mosteurope.com/