
By: chariserin – CC BY 2.0
ファッションの都としても有名なフランスの首都パリ。街中を歩けば、誰もが聞いた事のある高級ブランドのお店にいくつも遭遇します。フランスの高級ブランドというとたくさんのブランド名が頭を駆け巡りますが、中でも一つ挙げるとしたら、それまでの「窮屈な服装」から女性を解放したココ・シャネルのシャネルではないでしょうか。シャネルブランドは今でも世界中に多くのファンを持ち続けるだけでなく、創立者ココ・シャネルの波乱万丈な生涯は映画にもなりました。そこで、今回はシャネルの生涯を振り返りながら、ゆかりの地をいくつか紹介していきたいと思います。
1. シャネル生誕の地、ソミュール

By: Daniel Jolivet – CC BY 2.0
1883年フランス中西部にあるソミュールという町でシャネルは誕生しました。ソミュールは世界遺産「シュリー‐シュル‐ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」の古城の一つソミュール城があり歴史を感じさせる町ですが、現在ではワインの産地としても有名です。シャネルは11歳で母を亡くしてから、父親にも見捨てられ、18歳まで孤児院や修道院で過ごすという生活を送りました。その為、彼女にとってこの町は辛い思い出の場所であったかもしれません。
2. 歌手への夢が生まれた町、ムーラン
修道院を出た後、シャネルはお針子としてムーランの町で働きながら、次第に歌手を目指すようになります。ムーランはフランス中央部に位置し、14世紀にブルボン公爵領の首都となり15世紀には最盛期を迎えます。町のノートルダム教会のステンドグラスはその当時作られたもので、宮廷の人々や聖人が描かれています。因みにココ・シャネルの「ココ」は愛称で、この頃歌っていた歌の題名から付けられたものです。
3. 夢を諦めた町、ヴィシー
ヴィシーもムーランと同じくフランス中央部にある町です。第二次世界大戦中、フランス北部がドイツ軍に占領された際に、政府が置かれた事で有名です。また、この辺りは火山地帯にあたる為、ミネラルウォーターや温泉が出る事で知られており、ヴィシーは温泉保養地としても有名です。シャネルはこの町で歌手になる為に奮闘しましたが上手くいかず、とうとうその夢を諦め当時交際していた男性に連れられてパリ郊外へと移ります。
4. シャネルブランドの誕生したパリ
恋人の所有する牧場で過ごすようになったシャネルは、暇つぶしに帽子を制作するようになります。そのデザインが次第に周囲に認められ、彼女はパリで起業することになり、1909年にマルゼルブ大通りでアトリエを開き、翌年にはカンボン通りで帽子専門店を開店しました。現在パリにはいくつものシャネルブランドのブティックがありますが、本店は番地が変わったものの今でもカンボン通りにあります。
5. 本格的なモードの分野へ進出したドーヴィル、ビアリッツ

By: Andrew Gustar – CC BY-ND 2.0
パリで起業した数年後、シャネルはドーヴィルにブティックを開き、更にビアリッツにオートクチュールを取り扱う「メゾン・ド・クチュール」を開きます。この頃コレクションにも出品し、ジャージ素材を使用したドレスが話題を呼び大成功を収めます。ドーヴィルはフランス北西部、ビアリッツは南西部に位置し、いずれも大西洋に面したリゾート地です。19世紀に王侯貴族が訪れたことによりリゾート地としての歴史が始まりました。
まとめ...
その後、公私ともに充実した日々を送ったシャネルですが、第二次世界大戦が勃発した1939年に労働者のストライキに遭い引退を決断したり、ナチスドイツ関連の人物と親しい関係にあった為、国内での反感を買いスイスへ亡命する等辛い時期を迎えます。しかし、戦後様々な苦難を乗り越え見事な復活を果たし、その後のシャネルブランドの発展ぶりは今日私たちの知る通り、世界中で愛されるブランドの一つとなっています。